目次

  1. テニスの再開
  2. テニスのきっかけ
  3. テニスにはまる
  4. テニスのために
  5. テニスから離れる
  6. 子どもが笑う
  7. まとめ

久しぶりに、好きなテニスを再開した🎾

育児と仕事に追われて、テニスから離れていた。
このまま、テニスをしないで年をとり、体が動かなくなってしまうのではないかと思えてきました。

とりあえず、スクールに入会してみて、テニスをはじめる!

小学生のとき、テレビでみたクリスエバートのプレーに憧れて、テニスを始めた

サーブを打つために、左手の先にあがったボールをみる真剣な表情と
白く、すらっとして、まっすぐのびた左腕に魅了された。
そして、ショットを打つ華麗さに、くぎ付けになった。

最初は、バトミントンのラケットと壁打ちだった

当初、テニスラケットは持っておらず、バドミントンラケットとプラスチック製のボールを使って、家の庭の壁で、壁打ちをしていた。

毎日やった。しばらくすると、父がテニスラケットとゴムつきのボールを買ってくれた。
すると、道路で毎日、それを使ってテニスをした。
ゴムが切れると繋げて、何度も何度も繋げた。
独学でテニスをしていた。
ボールを打つタイミングが、自然と上達した。

中学、高校、大学とテニスを続けた
テニスをするために、勉強に励んだ

母は私に、いつまでテニスをしているのか、いつまで遊んでいるのか、責めるようなことを言ってくることもあった。

しかし、テニスをすると元気が出たし、時間があれば、テニスのことを考えていて、テニスのために頑張っていた。

しかし、テニスをしないときもあった

スランプになった高校生のとき。
高校生のとき、どうしてもテニスが思い通りにいかなくなった。とうとう、部活を休み、学校の図書館にあった漫画「三国志」を読んで過ごした。
60巻を読んで読んで、読み終わったとき、達成感があった。
3か月は部活をサボった。
チームメイトはだまっていてくれた。
そうして、またテニスに戻った。
感謝しかない。

父の病気が発覚したときも、テニスをする気分ではなかった。
仕事の帰りの電車の中で、泣くこともあった。
父の看病をしていると、父は独身の私に、「なぜ、結婚しないのだ?」と聞くことがあった。
父と娘、仲がいいほうではなかった。
中学になると、父と話すことなんて、ほとんどなかった。
でも、草木が好きな父と、「きれいに花がさいたね」って話したことがあった。
庭には、いつもいろいろな花が咲いていた。つつじとか。。和な花ばかりだったが。

父が寝たきりになった春、花が綺麗に咲いた。
つつじやら、いつもの花の他に、パンジーもあったし、チューリップもあった。
庭中の花が満開で、遠くからみても庭がピンク色だった。
その秋に父が亡くなった。
翌年、手入れのされていない庭に、花たちは綺麗に咲いた。

子どもが笑っていると、親も嬉しい。

子どもが泣いていると、親も悲しんでいる。
お寺さんが教えてくれた。
またテニスを始めた。
雪が太陽の日差しで溶けるように、だんだんと父の死を受け入れられるようになった。

ここまで生きていると、いろいろ起きる。

それから、結婚して、家事と仕事に追われる日々になり、テニスから遠のいた。

テニスを再び始めるタイミング

自分のための時間を過ごしたいと思うだけ。
しかし、時間は過ぎていく。
とりあえず、スタートしよう!
そうすれば、家族もハッピーに近づく。

まずは、見た目から出直して、ウェアとラケットを新調した。
そして、ケガをしないよう、準備運動だけはしっかりと😊

投稿者

Everty

昭和生まれの、子育て中ワーキングママです。 未来を担う子どもたちと家族を応援すべく、ブログを書いています。 このブログを読んでいる方が、迷っているときなど、多少なりともヒントになれば幸いです。

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