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昨年、高校の恩師が退職された
私の中で、ショックというか、何かが終わったような区切られた気持ちになった😭
先生には、毎年、年賀状を送って近況を報告していた。
先生のお返事は、いつも暗示があるようなメッセージだった。
その時代の状況にあった文章をくださった。
そのセンスが、気に入っていた。
高校生のとき、先生は担任であり、国語の先生だった
先生に巡り合えたことは、ラッキーだった。
国語が苦手な私に、新聞の天声人語の要約を添削してくださった。
出来栄えはよくなかったが、根気よくみてくださった。
それから、思い出すのは、「1に英語、2に英語、3,4はなくて5に英語」とニヤニヤしながら、よく教壇でおっしゃっていたことだ。
高校を卒業してからの時間は、あっという間に過ぎた。
確かに、英語は大事だったし、今ももっと英語ができていたらよかったと思うことが多い。
ずっと、現役で教師を続けてほしいと思っていたけれど、やはりこの日がきた
いつか、先生が退職される日は来るとは思っていた。
人は、年をとるし、世代交代していくわけだから、仕方ない。
しかし、先生には、ずっと教師をしていてほしかった。
私には、教師はできないが、先生には続けてほしかった。
先生は、本当に素晴らしい教師だった。
今は、新天地でご活躍されている
現在は、教育関連の仕事を始め、富士山を眺めながら、楽しい第二の人生を過ごされているようだ。
確か、途中で、親御さんの介護のために住居を移転され、勤める学校も変えていた。
自分の母校に、先生がいないことは寂しかった。
しかし、教師を続けていることが嬉しかった。
私も教師になろうと思ったことがあった。
しかし、あまり深く考えずに、教師になることを諦めた。
先生の名前には、珍しい字がついていた。
ある日、その文字について、国語の時間で取り扱った内容の著者と先生の名前の字が同じであることがあった。そして、その文字の意味を説明された。
さらに、そのときの文章の内容が記憶された。
人々は旅行に行くと写真を撮るが、見返すこともなく写真が溜まっているだけで意味がない。
だから、写真は撮らず、その時の時間をもっと大事に過ごし、景色は目に焼き付ける、といった内容だったように思う。
題名は、覚えていないが、衝撃的だった。
そこで、高校生だった私は、修学旅行へ出かけた時、写真は撮らずに、友達にも景色を目に焼き付けると言っていた。
確かに、大学や社会人になって出かけた場所よりも、あのときの修学旅行の記憶のほうがよく覚えている。
ただ、自分が写っているシーンがなく証拠もない感じで寂しく思うこともある。
だから、結局写真を撮るようになったし、今の時代はむしろ携帯電話で簡単に写真が撮れて思い出も振り返られる。
きっと、あの著者も考えを変えているかもしれないが、国語の時間で得るものは大きい。
そして、お世話になった先生への感謝の気持ちも、また大きい。
だから、先生が教師でなくなることが残念だった。
こうして新たな仕事を始め、新たな場所で暮らすとは、きっと計画していたのだろう。
子どもが社会人になったら、私はどうするか。
親の介護は、どうするか。
夫は、どうしたいのか。
先生のメッセージは、いつも行間を読む時間となる🍆🍆🍆
後悔しないうちに、お礼がいいたい
後悔しないうちに、先生にお礼がしたい。
社会人となって、いろいろ苦労もあると、逆に、感謝も増える。
振り返ってみると、自分は親に守ってもらって、学校に守ってもらっていたのだと思う。
本当に有難いことだったのだ。
先生には、きちんとお礼がしたいと思う。